中国人は文字を2つ重ねたり、同じ意味の漢字を2つ並べて二文字の単語を作ったりします。そして、何と言っても四字熟語の “成语” を作るのが特に好きです。陽数(=奇数)は縁起が良く、陰数(=偶数)は縁起が悪いはずなのですが…
日中共に文化的には陽数好き
陰陽説の文化的な流れで、中国では陽数が好まれます。奇数が陽数で、偶数が陰数です。ですので、暦で月日がゾロ目の陽数の日は「~節」という喜ばしい日になっています。1月1日の春節に始まって、5月5日の端午節、7月7日は七夕、9月9日は重陽節(重阳节)です。
最近では、アリババが仕掛けた11月11日の “双十一” もしくは “光棍节/光棍節” が有名です。 何しろ中国ではこの日だけで、日本国内の1年間に匹敵するオンラインショッピングが行われます。米国の “Black Friday” に近いノリです。日本ですと時期的にお歳暮やふるさと納税に当たるかもしれません。
日本でも陰陽説の影響は今も強いでしょう。京都に陰陽師 安倍晴明を祀る神社があります。小さな神社ですが、パワースポットとして京都の観光バスツアーでは必ず立ち寄る所になっています。神社でお賽銭を投げる時は、もうこれ以上崩れない数として1円が、「ご縁がありますように」と五円が投げ込まれます。結婚式では、「結婚する二人が割れないように」と、奇数の金額でご祝儀を渡すのが慣例になっています。
ですが、実用面としては、2で割れる偶数が好まれるのも日中共通です。カウンター席やおひとり様の集客に努めるところ以外では、レストランにある机の座席は2,4,6,8です。
中国語の先生にどうして陽数である奇数にしないのかと尋ねたら、暦でゾロ目で数字が2つ揃ったり、東西南北、四合院など、とにかく2と4が収まりがいいので好まれ、それが言葉にも反映されているとお答えいただきました。
なるほど「~節」はどれもゾロ目の日です。そして、重ね型の動詞(例:看看)や形容詞(例:好好)に、四字熟語の “成语” もそうです。
古典に見る成語
HSK 5 の教科書にもたくさん出てきます。有名なものは、
- 盲人摸象/群盲象を評す
- 精诚所至,金石为开/堅い石は岩をも通す
- 朝三暮四/朝三暮四
- 纸上谈兵/机上の空論
などなどです。
何と言っても極めつけは、三十六計でしょう。あまり日常会話では出てきませんが、兵法三十六計の成語を使えると、相手に「お主やるな」と思ってもらえるかもしれません。『兵法三十六計』(守屋 洋 著)は同じ著者の『孫氏の兵法』と並んで、現代史と照らし合わせて解説されていて、人生訓にもなっています。
三十六計の中から、私が好きな成語をいくつか選んで紹介します。
瞒天过海/瞞天過海
最初の一計に出てくるのが、”瞒天过海” です。敵を「またか、またか、今度もまたか、次もどうせまた~だろう」と習慣づけることで警戒心をなくさせた後に本当に襲いかかる策です。地震などの天災に対する警戒もそうでしょう。関東は地震が多いので、すっかり慣れてしまった頃に、物凄い東日本大震災がやって来ました。
習慣は怖いものです。味方にすれば、絶大な力を発揮しますが、使い方を間違えれば破滅を招いてしまうことをよく物語っています。何かを習得するには習慣化のパワーを借りれば、複利効果を得られて、後々爆発的な成長を遂げることができます。FIRE ムーブメント (Financial Independent, Retire Early Movement) もコツコツ投資信託を積み立てていけば、複利で独りでに資産が大きくなっていくのだと説いています。
使い方を間違えば、逆複利効果がはたらいて、奈落の底に真っ逆さまに落ちていくということの戒めでもあります。
以逸待劳/以逸待労
四計です。守りを固めてのらりくらりと敵を惑わし、敵が疲れるのを待って一気に攻める策です。二計の”围魏救赵/囲魏救趙” も少し似たところがあります。孫子の兵法もそうですが、最小限の資源で最大限の利益をどのようにすれば得られるかについて、中国の古典は分かりやすく四字熟語で後世に伝える役目を担っています。
個人投資家が生き残る術は、この “以逸待劳/以逸待労” の一言に尽きるでしょう。大金を動かしてマーケットを動かして、年次で業績を上げなければならない金融機関とは違い、個人投資家はそれこそやろうと思えば一生 “Buy and hold/金融商品を買ったら、そのまま持ち続ける” ことができます。
たとえバブル経済が崩壊しても、「陽はまた昇る」か「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」ではないですが、待つという最大の武器を使って、世界の人口動態をよく見て人口ボーナスは続くことと、それに伴う経済成長は止まらないことを信じて待てばよいのです。
走为上/走為上
「三十六計逃げるに如かず」ということわざであまりにも有名です。最後の三十六計に当たります。死線をさまようようなどう考えても劣勢の状況の中で用いられる策の “败战/敗戦” の章に収められています。
この計は日中文化が真逆なところを象徴しています。たとえ勝ち目がなくても、日本では未だに敵前逃亡は禁忌されます。『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎 著)を読むと、つくづくそう思います。日本軍にフィリピンを占領されて、マッカーサーは “I shall return/私は必ず戻る” と言い残して、やむなく逃げます。しかし、レイテ戦で約束通り戻って来ます。これも成語の “卷土重来/捲土重来” を果たすわけです。
一方の中国も、毛沢東が八路軍を率いて逃げまくります。追う日本軍は疲れ果ててしまいます。結果、勝利したのは中国側でした。
「待つ」、「逃げる」は悪いことではない
日本人は土地に縛り付けられて「一所懸命」だからという説明がよくされます。
しかし、江戸時代でも藩の圧政に耐えかねて一揆に打って出る場合よりも、田んぼを放棄して別のところに集団逃走する農民も多かったそうです。それが幕府に知れると、藩主の面目が丸つぶれになるので、それを避けるために年貢の取り立てを控えたりもしていたようです。
今は、人生 100 年時代と呼ばれるように、ヒトの一生が随分長くなりました。今後も延びていくでしょう。人口の流動性も高くなりました。転職も依然と比べれば随分多くなりました。不利な状況では態勢を立て直すために「待つ」、「逃げる」という策を採るのがごく普通になってきているように思います。悪くないことだと思います。
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