とても驚きました。道具を使うということと言葉を操るということは脳にとっては同じ処理だということが分かってきたのです。人文科学の言語学は、心理学など他の人文科学同様、ますます自然科学に衣替えせざるを得ません。
道具を操る脳の部位と文法を理解し使う部位は同じ
『どの言語にもある共通の概念を処理する場所が脳にあった!』に続き、今回もとても驚いてしまいました。fMRI、脳波計、脳磁計といった測定器と電気/磁気刺激器具の目覚ましい進化そしてゲノム解析の発達で、これまで人文科学に位置づけられてきた哲学が扱っていた意識はどこにあるのかという問題や心理学が扱ってきた性格形成や性格は変えられるのか変えられないのかなど、哲学者や心理学者が腕組みをしていろいろな仮説を立てながらも解決できないでいた問題が、脳の中での電気化学的な電位の変化や酸素・ホルモン濃度の濃淡により、どの部分で何が起こってその結果どういうことが起こるのか、生きている動物やヒトを対象にした研究でだんだん分かってきています。そして今度は、道具を使うということと言葉を操るということは脳にとっては同じ処理だということが分かってきたのです。同じく人文科学の一翼に担ってきた言語学もますます自然科学に衣替えせざるを得ません。
INSERM (Institut national de la santé et de la recherche médicale) という研究機関の発表記事によると、道具と複雑な文法を扱う脳の部位は同じで、道具を使えるように訓練すると文法テストの成績もよくなり、逆に文法の訓練をすると、道具を扱うのが器用になることが分かったそうです。考古学では人類の歴史上で道具が広く使われるようになった時期と言葉を取り扱う脳の部位の発達を遂げる時期が近いことがよく知られていたのですが、それもそのはずというわけです。
fMRIが描き出すトングも文法も一緒くたに処理する脳部位
その脳の部位は大脳基底核と呼ばれる部分で、文法を取り扱うということなので、大脳でも新しい脳と呼ばれる大脳皮質の言語野にあるのかと思ったら、実は古い脳に近いところにある部位が関係していたのです。焼肉をひっくり返すトングを取り扱うときに活動レベルが上がるし、文法問題を解くときにも同じ場所が活動することを観測できたというわけです。 発表記事のリンク先に fMRI (functional magnetic resonance imaging) の画像があるのでご覧ください。脳の外側ではなく内側の方に緑色に光っている部分がありますが、それがトングも文法問題も一緒くたに処理している場所だそうです。ちなみに、fMRIは赤血球内のヘモグロビンに酸素がくっついているかいないかで外から与えた磁界の向きが変わることを応用して血中酸素濃度を三次元画像で撮影できる優れものです。
余談ですが、MRI(fMRIも)はとても大きな装置で、もの凄く強い磁界を出します。このところより微細なものを見たいという要求が高まっているため、ますます強力な磁界が必要になってきています。言ってみれば強烈な磁石なわけです。そのため海外で肌身離さず酸素ボンベが必要な患者さんをうっかりMRIの中に入れたところで、酸素ボンベがすごい勢いで磁石に引き寄せられて患者さんに飛んでいき、ぶつかって亡くなるという死亡事故が発生しています。ちょっとでも磁石にくっつく金属を持ち込まないように注意しないといけないのです。『X-MEN』シリーズというマーベル社のSF映画の何作目かでマグニートーという悪役が出てきます。彼は磁界を自在に操ることができる超能力者です。映画の中でその能力を使って、ヒトのヘモグロビンに含まれる鉄を吸い上げて死に至らしめるなど、とんでもないことをしでかします。そこまでではないですが、便利は危険と隣り合わせです。このように、MRIは大型装置で値段もとんでもなく高いし、取り扱いも難しくなってきています。
そこに商機を見出して、OpenWater社というところが赤外線と赤い光を使って、コロナ禍で一躍有名になったパルスオキシメーターと同じ原理で、脳のどの部分の血中酸素濃度が高いかという三次元映像をリアルタイムで撮影できる技術を開発すべくがんばっています。 赤外線と赤い光は微妙に波長が違っていて、その違いで酸素がくっついているヘモグロビンと酸素がくっついていないヘモグロビンで吸収のされ方が変わってくることを利用して血中酸素濃度を測定します。究極の目標として、パルスオキシメーター並みに安くして、みんなに使ってもらい、頭で考えていることを以心伝心で相手に伝えるテレパシー装置のようなものの実現を掲げています。CEOの方がYoutubeで説明している動画があるので、ご興味がある方は是非一度ご覧になってください。 fMRIで撮影した脳内の血中酸素濃度のマップ映像からその人が見た映像を復元できるところまで科学は来ています。
道具を使うことが肝心
元記事の中では、脳梗塞などの病気で失語症になった患者さんのリハビリに道具を使った手作業を活用して、運動能力だけでなく再び話せるようになることを目指す応用を紹介していますが、健常な人にも十分応用可能だと思います。例えば、道具を使うスポーツをするのはいかがでしょうか?素手では効果がないそうです。道具を使うということが一番重要なポイントです。
These experiments show that after motor training, the participants did better with the sentences that were considered to be more difficult. The control groups, which performed the same linguistic task but after motor training using their bare hands or no training at all, did not show such an improvement.
“Using Tools Improves Our Language Skills” , PRESS RELEASE | 11 NOV 2021 – 20H00 | BY INSERM PRESS OFFICE
思うに、素手の触感で直接判断できるとダメで、一段何かを挟んで向こう側にあるものを取り扱う練習というのが、元記事にある例でいうと、“The scientist whom the poet admires writes an article.” のような関係詞を使ったワンクッション入る構文に似ているからなのだと思います。
ですので、語学の成績を上げたければ、テニス、スキー、野球、ゴルフ、剣道などのスポーツがよいでしょう。逆に文法問題集を解くと、練習しなくてもスポーツが上達するかもしれません。水泳、柔道、トラック競技は効果が薄いと思います。サッカーはボールという道具を使いますが、手を使わないので微妙ですね。そういえば、うちの子供たちはみんな幸い手に持つ道具を使うスポーツをやっています。
巧緻性と語学力(学力)は相互作用する
別の英Surrey大学の研究では、9千人が参加した大規模の追跡調査で、2~4歳の頃に手先が器用で巧緻性が高い幼児は、16歳時点の学力が高いことが分かりました。先天的な巧緻性は学力と強い正の相関があるというのです(1)。
先ほどのINSERMの発表記事では、後天的に道具を上手に使えるように鍛えることで巧緻性を高めると、文法も上手に操れるようになるというものでした。
この2つの研究成果から窺えるのは、巧緻性と学力はどちらか一方が原因でもう一方が結果だとは一概には言えず、相互に作用し合っている可能性があるということです。
確かに、生まれつき巧緻性が高いことは有利には違いありません。しかし、文法能力とは詰まるところ論理性であり、語学力もしくは読解力、もっと言うと、学力の基礎になるものだと考えると、INSERMの発表記事が示しているように、道具を上手に使えるように訓練することは、学力全般の底上げにつながりそうに思えます。
ピアノは四肢全てを使って演奏しなければならない楽器です。リズム感を養うことでも語学力が高まります。それほど体力も必要ありません。年を取ってからの趣味として、語学と組み合わせて取り組むと、ボケ防止に持って来いなのではないでしょうか。
[参考文献]
- Aislinn Bowler, Tomoki Arichi, Pasco Fearon, Emma Meaburn, Jannath Begum-Ali, Greg Pascoe, Mark H. Johnson, Emily J.H. Jones, Angelica Ronald. Phenotypic and Genetic Associations Between Preschool Fine Motor Skills and Later Neurodevelopment, Psychopathology, and Educational Achievement. Biological Psychiatry, 2023; DOI: 10.1016/j.biopsych.2023.11.017
コメント