ロングセラーの曲を目指すなら、時代背景を消した方が無難です。しかし、魔が差して時の人に対する風刺に走ると、人気に影が差すことがあります。風刺は鋭いほど、ファンから「いいね!」をもらうか、一転敬遠されるか真っ二つの反応を受けます。2019 年の作品ですが、Clean bandit というイギリスのグループも “Mama” で岐路に立っているように思えます。
Clean Bandit とはどんなグループ?
EDM (Electronic Dance Music) にクラシック音楽を風味付けとして加えた曲調の楽曲を多く世に送り出しています。代表的な作品は何と言っても “Symphony” と “Rockabye” でしょう。でも、私は日本ロケ曲の “Rather be” が一番のお気に入りです。日本ロケらしく、MVの冒頭で鹿威しを背景に “清潔な盗賊/Clean Bandit” とクレジットが入ります。
現在は、紅一点でチェリストの Grace Chatto とキーボードと打楽器担当の Jack と Luke Patterson 兄弟の3人バンドです。 “Rather be” の頃は、もう一人バイオリニストの Neil Amin-Smith がいました。冒頭のバイオリンが何ともこぎみがよい響きがあります。これが私が一押しにするもう一つの理由です。バンドを去ったのが惜しまれます。
バンドメンバーはみなさん秀才です。名門ケンブリッジ大学の学友が組んだバンドだからです。それもあってか、 “Symphony” は同性愛の黒人男性が交通事故で亡くした伴侶に捧げる挽歌ですし、 “Rockabye” は、場末のバーでダンサーとして働く母子家庭の母親が子供を想う子守唄(?)となかなか複雑な事情を題材に取り上げています。そして、当時の時の人であるアメリカ大統領を風刺する “Mama” をリリースしました。
イギリス人からの風刺
こちらも著名なイギリス・シンガーの Ellie Goulding をフィーチャリングしています。イギリスの有名どころのアーティストが手を携えて、アメリカの時の権力者を痛烈に風刺したのです。
イギリス人のアメリカに対する目線は複雑です。アメリカ独立戦争まで遡れば、仲違いして喧嘩別れしたわけです。その一方で、2度の世界大戦ではアメリカの支援・参戦がなければ、勝利を手にできたか怪しいわけです。第2次世界大戦後は、七つの海を制した大英帝国は見る影もなく、超大国アメリカの盟友とは言え、かつての威勢を取り戻せないまま今日まで来ています。憎愛ない交ぜといったところでしょう。
あの『The Selfish gene / 利己的遺伝子』で有名な生物学者 Richard Dawkins が TED の講演 “戦闘的無神論” の冒頭で
“Can you understand my quaint English accent?/私の古臭い英語のアクセントが聞き取れますか?”
と自嘲気味に切り出しています。しかし真意としては、「私の話すイギリス英語こそが『The 英語』だ」という矜持を示しているわけです。その他、イギリスの紙幣には進化論創始者のダーウィンが描かれているが、アメリカの紙幣には “IN GOD WE TRUST/我々は神を信じる” ことを皮肉っています。確かに、もしもの場合に備えて持っているドル紙幣にありました。
こうして見ると、両国民の感情は複雑です。特にインテリ層からの風刺となると、ミュージック・ビデオが描く「あの人」とその支持者の心は穏やかで済むはずがありません。しかも、このビデオで描かれた主人公の体験が本当のことなのか不明です。「少々古いですが、”Chain to the Rhythm” は意味深」の回で紹介した Kety Petty 同様、Clean Bandit と Ellie Goulding もここ最近冴えなくなってきてしまいました。虎の尾を踏んでしまったのかもしれません。
ミュージック・ビデオが描く「あの人」
前置きが長くなってしまいました。では、本題のミュージック・ビデオの深読みに入りたいと思います。
曲が始まってすぐ、「あの人」が子どもの頃に道を走っていて、転んで膝を擦りむきます。息子が助けを求めているのに、傍らに立つ父親は湖畔に目をやり、知らんぷりです。この時ボーカルが被ります:”Oh, what do I do now?/一体どうすればいいの?” 本当だったら、確かにそう言いたくなります。
あるいは、父親がプールサイドに立ち、獅子が我が子を千尋の谷に落とすかのように、泳ぎを知らない息子をプールに突き落とします。冷酷なのか、息子の心身を鍛えているのか。被るボーカルは、”I see my body in a different light. As if I woke up in a different life./体が違う風に見える。目が覚めたら、間違って別世界に来たちゃったようだ” 水中で見ればそうでしょう、と言いたいところですが、「ちょっとこの扱い違うじゃない?」と言いたいのでしょう。
お次は、教師がまさに「教鞭」を振るうスパルタ教育の学校に放り込まれて、”Somebody pass me the water ‘cause I’m burning./誰か水ください、私、炎上しています。” 「あの人」もFBIに家宅捜査されて絶賛炎上中です。リリース当時は、この場面は単に家でも学校でも絞られている可哀そうな子どもという解釈をしていましたが、今では「学校=公的権力=FBI」という読み替えも可能です。
そして、曲前半の山場、積み木を積んで壁を作るシーンに来ます:”What do I do now, do now, do now? Do with all of this?/どうすればいいの?これを全部まるっとやれってこと?” まさにアメリカが抱えるさまざまな課題を解決する方法は一つ、壁を築くこと、世界から手を引くことだと言わんばかりです。
青年になった「あの人」は、軍の教練に参加して、”I’ve never feel so good, feel so soft/こんなにいい気分で心が穏やかになったことはないよ” 、”And now I know myself, I know my spots”/ようやく自分の居場所を見つけたよ” と言っています。厳しい家庭や学校から離れて、ひとりで軍の教練に参加する方が、いい友達付き合いができて、それまでの鬱屈した生活よりも良かったというのでしょうか。
しかし、引き続き軍の教練の一環で林の中を走っていると、せっかくよい友達になりそうだった参加者の一人が、他の参加者とのいざこざに巻き込まれている場面に出くわします。そして、見て見ぬふりで通り過ぎて行ってしまいます。まるで、子どもの頃に膝を擦りむいた時に、父親から見て見ぬふりをされたのと同じように。ここでも、”Somebody pass me the water ‘cause I’m burning./誰か水ください、私、炎上しています。” が来ます。
血は争えないのか、受け続けた厳しい家庭と学校教育の結果なのか、その後は父親をなぞるような行動に変わっていきます。”Cause a little bit’s turning into a lot. There’s no way I’ll be turning the feeling off/塵も積もれば山となる。もうこの気持ちを抑えることはできない。” 言いたい放題、やりたい放題の人に大変身です。
そして、アメリカ大統領選の勝利を伝える報道をテレビ前で見て驚き、次の瞬間吐き気を催します。”All of these new emotions I let them out in the open./この新たに湧いてきた感情を全てさらけ出すんだ” 当時、本当に勝つとは思っていなかったと報道されていますが、実のところはよく分かりません。
次に続く場面で母親に電話をかけます。曲名の “Mama” が示すように、マザコンであるかのような描写で、”Oh, what do I do now?/一体どうすればいいの?” と母親に尋ねる歌詞が入ります。ですが、これも真実かどうかよく分かりません。ここら辺は脚色が多分に入っているのではないかと思います。
最後に極めつけの山場が来ます。夫妻が社交ダンスを踊る円の縁に強いメッセージが書かれています:”DAMAGING OUR CHILDREN CAN DAMAGE THE ENTIRE WORLD” 伝えたいのは「氏より育ち」ということでしょうか。
子育て世代が悩むところ
最後のメッセージについて考えてみたいと思います。まさに子育て世代が悩むところです。
親は子どもに対して「自分とは違って/自分と同じ立派な人間になってほしい」という過剰な期待を持ってしまうことがあります。しかし、親からの遺伝、家庭での生活習慣と親の背中でがんじがらめになっていると、結局「あの人」と同じように「親である自分と同じ人間」にしかならないでしょう。
子どもにとって、違う「自分になる」選択肢を与えもらえるのは、家庭の外、学齢期の場合は学校に他なりません。親が「自分とは違って立派な人間になってほしい」なら、あまり介入しないで、子どもにとっての唯一の選択肢である学校生活を充実させてあげるのがよいでしょう。ちょうど、軍の教練の場面で、主人公が吐露していましたね:”I’ve never feel so good, feel so soft/こんなにいい気分で心が穏やかになったことはないよ” 、”And now I know myself, I know my spots”/ようやく自分の居場所を見つけたよ”
一方、親が「自分と同じ立派な人間になってほしい」なら、家庭で親の背中を見せるべきです。
すべての点においてというは難しいでしょう。ですので、アラカルト・メニューでよいと思います。「語学については、親の背中を見て子どもは育つ」の回で紹介したように、私の場合は、一生懸命語学をやっている姿は見せています。見習ってほしいからです。ですが、それ以外ではあまり子どもに口出ししないようにしています。そうすることで、「別の選択肢=学校生活」がよい効果を与えてくれることを期待しているのです。
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