語順にとらわれず英語を使い、別の発音で中国語を使う日本人

No Music, No Life 語学
Photo by Simon Noh on Unsplash

日本とは極東の島国なのに、と言いますか、極東の島国だからこそ、特異な文化を開花させています。さすが八百万の神々の国です。現代日本語を外国の方が学ぶと、題名のような印象を受けるのではないでしょうか。

日本語はクレオール言語?

その名も “SEKAI NO OWARI” という日本のバンドは「世界の終わり」から改名しました。ローマ字表記に改名したわけですが、その SEKAI NO OWRI の作品の1つに “LOVE SONG” という曲があります。その曲の一節は英語だったりします。そのフレーズは正真正銘の英文フレーズです:

“Nice people makes the world boring”

「確かにね」と相槌を打つ向きもいらっしゃるでしょう。

日本語で歌っている歌詞の中に

「大人たちが作っていくエゴイストで悪い汚い大人像」

というフレーズがあります。この使われ方場合は、「大人(おとな)」は中国語と表記も意味も同じです。読み方はというと、違います。中国語の場合は、”大人 (dà rén)” です。

エゴイストは英語の egoist をカタカナにしたものです。こうやってみると、日本語は英語と中国語に大きく影響を受けていますし、エゴイストは中国語では “利己主义者 (lìjǐ zhǔyì zhě)” と言いますが、日本語で利己主義者と言う人はもはやあまりおらず、エゴイストと言う人の方が圧倒的に多いでしょう。

これら外来語と日本古来からの言葉「作る」、「悪い」、「汚い」からこのフレーズはできています。日本人は借り物と日本古来のものを組み合わせて使いこなすのが得意なのです。

言語学でクレオール言語という用語があります。Wikipedia での定義は「意思疎通ができない異なる言語圏の間で交易を行う際、商人らなどの間で自然に作り上げられた言語」です。海のただ中に浮かぶ島国の日本でできた日本語は、中国や米国と交易することで、そのような性格を持ち合わせた言語になったのかもしれません。

世界で最も世俗的な国、日本

イングルハート-ヴェルツェル世界文化地図 (The Inglehart-Welzel World Cultural Map) というものがあります。世界価値観調査の成果の一つです。世界の社会科学者たちが集まって文化などの価値観を調査しているプロジェクトです。この地図を見ると、日本が文化的に非常に特異な位置にいるのがよく分かります。検索すると出てきますので、ご覧になると一目瞭然です。

横軸が「生存重視-自己表現重視」で縦軸が「伝統的-世俗的」という四象限図になっています。2022年版のイングルハート-ヴェルツェル世界文化地図によると、日本は横軸の方は中程度に自己表現重視になっており、こちら方面では普通の国ですが、 縦軸方向では断トツで世俗的なのです。

世俗的というのは、宗教、因習、〇〇主義に囚われないという意味合いではなく、それらを相対的に見ているという意味合いです。それらに価値を求めないどころか、良い側面を見つければ、すかさず取り込むということと受け止めてよいと思います。

ですので、元日には神社に初詣参りし、先祖の命日やお盆には寺に墓参し、教会で結婚式を挙げたかと思うと、新婚旅行でバリ島でヒンドゥー教の寺院やモスクを訪れるという何とも節操のない行動をとることができるのです。

今はグルテンフリー生活ですが、子どもの頃、バターを塗ったパンを頬張って、味噌汁をすすると、何とも言えない旨味が口の中に広がるのが好きでした。その頃、友達の家に遊びに行き、昼食時になると、丼鉢に入った白米の上に豆腐を一丁トッピングして、シリアルを食べる感覚でその上から牛乳をかけて食べるのです。私は勝手に「白尽くし」と命名しました。

名古屋駅のカフェで朝食を摂ると、パンに味噌を塗ってくれます。国内だろうが海外だろうがホテルでも、日本人はビュッフェ形式の朝食はわざわざ和洋折衷にして食べます。外国人の方にはあまり見られない光景です。

交配して改良することが好きな日本

今までの例はどちらかと言うと、自己満足的な文化面に触れましたが、対外的にも好感を持って見られるものも多いわけです。

例えば、水田です。米食文化は大陸から伝わってきたわけですが、降水量が多い土地柄を活かして、水田にして、水に溶けた養分を効率的に循環させることでコメの収穫量を飛躍的に上げました。水を活用した例では、シャワー付き洋式トイレもそうです。海外観光客が駅のトイレにシャワー付きトイレがあるので、驚くという話は有名です。

生物学上の進化論ではないですが、文化や科学技術の分野でも、結局、進歩や進化は異なるモノの交配によって生まれるのです。純血に拘っていたり、交易ができなかったりして、モノの交配が起こらなければ、適者生存ということも起きないのです。

Matt Ridley は “Rational Optimist” の一節で、どうして船でオーストラリア大陸に行き着けた人類がそこで文化を花開かせることができなかっただけでなく、使っていたはずの船という技術さえ失ってしまったかについて、交易をすることができなかったからだと述べています。

オーストラリア大陸は広いですが、餡子の部分がほぼ砂漠地帯のため、海に面した臨海地域にしか人が住むことができなかったのです。その集落は小さく、集落同士の交流も困難だったため、集落単位で狩猟採集生活を細々とやっているだけでは、新しいイノベーションが起こり得なかったからだろうとしています。石器で見て取れる技術力も年を追うごとに後退していったことが分かるそうです。

つまり、いろいろなモノや情報が飛び交う場所の方が交雑が起きて、技術面や文化面でイノベーションが起こりやすいのです。

考えてみれば、日本はシルクロードの東の突端でした。古来から西から東に人的交流やモノの交易があって、最も多くの種類の文化に接する機会を持つことができたわけです。大航海時代になると、西からの流入だけでなく、東からの流入もあり、文化の結節点になったわけです。さすが八百万の神々の国です。

日本人は語学でも有利なはず

ですので、日本人は語学でも恵まれているはずです。文化が辿り着く先で、幸いにしてまだ人口が多く、集団的英知の底力は残っているはずです。中国語、英語に止まらず、ポルトガル語にオランダ語など取り入れた外来語は数知れずです。これを足掛かりに語学でもイノベーションを起こしていけるような気がします。

2019 年に Clean bandit をフィーチャリングして “Lost” という楽曲で世界に打って出た End of the World こと SEKAI NO OWARI 。彼らに続け!

コメント

タイトルとURLをコピーしました