国語・数学・理科・社会という普通の教科の勉強は大抵の場合、学校で教えてもらうのが普通です。仕事と学校の勉強は随分違うこともあって、一般的には、親が影響を与えることは少ないです。しかし、語学については、子どもはある程度親の背中を見て育つようです。
J.R.ハリスの「集団社会化論」
橘玲さんの著作は度肝を抜くようなものが多いですが、その一つに『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』というものがあります。一言でまとめると、「自分に合う居場所を探そう」という内容です。この中で子育てについても論じています。J.R.ハリスの「集団社会化論」を下敷きにしています。興味を持ったので、原書を読みました。
簡単に言ってしまうと、「子どもは、立って歩けて話せるようになって以降は、子ども社会の中で学び合い、親の影響はあまり受けない」というものです。いろいろな実験結果を引用して説得力があります。
例えば、ろうあ者の学校では、先生が教える正統派手話は使われず、学生の間で歴代伝わっている方言の手話が使われるという話は印象的でした。他にも、英国貴族などが通う寄宿制パブリック・スクールの逸話もおもしろかったです。寄宿制なので、親が英国貴族の話し方や立ち振る舞いなど教えることができません。ましてや、先生の出自は中流階級が普通なので、教えようもありません。しかし、別に「先生」がいるのです。そうです、寄宿学校の先輩たちです。彼らは親からも先生からも「貴族たるもの」を教えてもらえませんが、学校を卒業する頃には立派な貴族になります。
年齢が近いとそれだけ分かり合えるので、関係が近い者同士、子どもは子ども同士で学び合って育つというわけです。それが大人になっても関係が近い者同士「私たち」という派閥を作って同調し合い、「彼ら」に対しては排外的になるのは、古今東西変わらない集団社会行動となるのです。
親が教えられるのは家庭内に関すること
しかし、J.R.ハリスは著書『The Nurture Assumption – Why Children Turn Out the Way They Do / 邦題:子育ての大誤解―子どもの性格を決定するものは何か』の中で、子育てについて、親の関与が何もかも効果が薄いと言っているわけでもありません。家から一歩出た外の世界のことに関しては、概ね「親がなくても子は育つ」と言っていますが、家庭内のことは別です。
例えば、家庭料理、つまり、「お袋の味」です。歴代伝わるレシピなどがあれば、それを教えられるのは親や祖父母しかいません。家業を持っていれば、それも当てはまるでしょう。〇〇流一門の家柄なら一子相伝の技は親や祖父母から教わるしかありません。農家も自分の田畑の事柄については、特別な事情があるでしょうから受け継ぐよりないでしょう。
J.R.ハリスは、親の出る幕かそうでないかの境目はプライベートな事柄なのかパブリックな事柄なのかにある、としています。なるほど納得感がある説明です。興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか?
語学はプライベート寄り
上記の考え方と今回紹介する論文の分析結果に従うと、語学はプライベートな側面が多分にあるようです。
ケンブリッジ大学の研究グループが 12 歳の学生に対してマルチリンガルに関する聞き取り調査を行いました。その聞き取り調査を基に、語学に意欲的に取り組む態度(=程度の差はあっても自分がマルチリンガルと思っているか)にはどのような要素が影響しているのか分析しています。論文著者らが “3E” と呼んでいる “Experience / 経験” 、”Evaluations / 評価” 、”Emotions / 感情” の3つの要素の影響です。
分析した結果を手短にまとめると、「確かに、自分個人が外国語を使った経験と自分自身がどう思っているかが一番大きく影響するが、その次に影響するのが、親の外国語に対する好意的な態度」だそうです。先生、学友、親がそれぞれ外国語に抱く好意の中で、親の好意的な態度が断トツで影響していることが分かったのです。
この結果は少し意外でした。なぜなら、普段話している言葉のことならばまだしも、外国語は家庭内で普段使いしないものなので、どうしてそれほど影響力を持っているのか皆目見当がつきません。例えば、親が語学学校を営んでいたり、外国人が多数押し寄せる観光地に家があり、親も観光客相手に商売しているのであれば分かります。コロナ禍で親が在宅勤務で海外とやり取りする姿を子どもが目にするというのでも分かります。
単に、親が子どもに対して「スマホばかり触っていないで、英語を勉強すれば、世界が広がるよ」などと外国語の重要性を説いたりするだけでは効き目ゼロに思えます。
語学に勤しむ親の背中を見せることにしました
今回の論文は2つの事柄の相関を見ているだけです。ですので、もしかしたら、マルチリンガルを目指す熱い子どもの姿を親が目の当たりにしたとします。そして、「外国語は役に立つから是非身につけなさい」と子どもに語りかけたとします。それで、被験者の子どもが聞き取り調査票に「親が外国語に関心があり」と答えたのかもしれません。
上記のように、因果関係が真逆の可能性もありますが、
親が外国語に好意的⇒子供が感化される
という親から子への順方向の好ましい習慣の影響があると考えて、親の背中を見せることにしました。
例えば、リビングで音読練習することにしました。その他にも、Chat のやり取りでこんなやり取りをしています:
子ども「六宝山に家族で行ったことあるかな?」
親「你说什么?你想说的是六甲山,对不对? / 何を言ったんだ? 六甲山の話がしたいんだろ?」
子ども「(絵文字)」
親「No puedo leer estas letras. / なんて書いてあるか読めません。」
子ども「Actually, I asked whether we have been to Rokkosan. / 私はみんなで六甲山に行ったことがあるか聞いているの。」
親「Nos exceto sua mâe fomos lá. / お母さん以外のみんなで行きましたよ。」
嫁からはやり過ぎをたしなめられますorz
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