日経新聞ならぬ、日系ブラジル人向けの新聞「ニッケイ新聞」という新聞がサンパウロにあったのですが、去年2021年末に廃刊になりました。日系ブラジル人が多かったサンパウロでも日本語を読める人がいなくなってきたのでしょう。ブラジル日系人の未来はいかに。
ブラジルの日系人社会
ブラジルの日系人は人口の 0.9% 程度占めるようです。CIA の “The World Factbook” によると、2021年7月時点のブラジルの人口が2.1億人強なので、およそ 200 万人が日系人ということになります。
その7割程度がサンパウロに住んでいるそうです。ロサンゼルスの Little Tokyo が世界最大の日本人街なら、2番手はサンパウロの Liberdade 地区になります。
私も 10年前に Liberdade 地区に行ったことがあります。お祭りをやっていて、商店街の人たちが法被を着ていました。大阪橋という橋の上で、笛太鼓のお囃子に合わせて獅子舞が踊っていました。小さな日本庭園もありました。
その街の一角にニッケイ新聞の本社があり、お祭りということもあってか、玄関口に新聞が置いてあり、無料で読めるようになっていました。どのようなことが書いてあったか内容は忘れてしまいましたが、正真正銘の日本語で記事が書いてありました。
紙の新聞というのは廃れていくのはどこも同じようで、ニッケイ新聞もウェブサイトを開設してがんばっていましたが、とうとう廃刊になってしまいました。
仕事で出会った日系人はみなさん日本語話せず
ブラジルで仕事で関わった日系人はみなさん日本語が話せませんでした。当たり前ですが、ブラジルでは日本語は基本的には必要とされません。生粋のサンパウロっ子で両親が日系人で純血のどう考えても日本人にしか見えない人もいましたが、日本語は全く話せませんでした。
彼のように外見上は日本人の面影を残している日系人は少ないです。ブラジル社会は混血が進んでいて、肌の色はいわゆる白人からいわゆる黒人の間に無数のトーンの人がいます。日系人も例にもれず、混血が進んでいて、日本人の苗字を持っていますが、外見は日本人とはほど遠い人の方がむしろ大多数です。最近では禁句の「肌色」という色の表現は、どの色を指しているのか分からず、意味をなさないわけです。
Liberdade 地区にあるブラジル日本移民史料館に立ち寄り、最初の日本人移民船である笠戸丸から始まる移民の歴史を少しかじりました。その中で、現在の日系人の変容について述べているパネルがあり、人種間婚姻が5割以上を占めるようになったと書いてありましたので、むべなるかなです。
Liberdade 地区自体もその時既に、大阪橋や日本庭園の辺りを少し外れれば、日本人街というよりも中華街という感じになっていました。そして価格の関係で中華料理店がなぜか出しているトンカツ定食を食べた記憶があります。日本料理はお値段高めでした。
日系人の総本山でさえそのような変貌を示す有様でしたので、ニッケイ新聞の廃刊も起こるべきして起こったということなのでしょう。
ニッケイ新聞からブラジル日報へ
とは言え、ブラジルでの日本語の灯が途絶えたわけではなく、新しくブラジル日報というサイトが創刊されました。
これが意外とブラジル・ポルトガル語を勉強する上で使えそうだということが分かりました。というのも、ニッケイ新聞時代の独自記事がなくなり、ブラジル各地の新聞サイトや Twitter の記事を引用して、日本語で解説する内容に変わったためです。独自の分析記事を書くのは手間暇がかかりますので、このようなスタイルに変わったのでしょう。これがむしろ外国語としてブラジル・ポルトガル語を勉強するには都合がよいわけです。
ブラジル日系人の未来はいかに
ブラジルは BRICS の一角を占め、少し前まで将来経済発展が有望とされていた国です。ワールドカップ、リオ五輪を経てホップ・ステップ・ジャンプといきたかったところですが、そう簡単には勢いがつかないようです。TOPIX 同様、ブラジルのボベスパ指数も他の指数につられて上昇傾向とは言え、「国際色あふれ、語学にも役立つ『和之夢』」の回で紹介したブラジル人デザイナーの方はちょっと停滞感を感じて、中国に渡りました。
日本もブラジルも「失われたxx年」のような状況が似通っています。日本の日本人、もしくはブラジルの日系人のどちらかが盛り上がってきて、お互いに相乗効果を及ぼし合うようになるといいですね。日本の自動車産業とブラジルのサトウキビから作ったエタノールとガソリンの混合燃料で走る自動車技術がタッグを組んで、環境にやさしい次世代の輸送技術を生み出せれば面白いのにと思います。
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