日中の「〇〇は××と違う」はdifferentと違う

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「〇〇は××と違う」という日本語の表現は、無理やり「〇〇は××に比べて違う」と言えなくもないですが、「〇〇は××から違う」とは言わないですね。中国語も日本語と基本的には同じです。しかし、英語、スペイン語、ブラジル・ポルトガル語は日本語や中国語と違うのです。

日中は基本的に「〇〇は××と違う」

日本語で相手と立場が違うことを言い表す場合に、「僕は君と違う」という言い方をします。比較のニュアンスは薄いです。「僕は君と比べると違う」と無理やり比較のニュアンスを持ち出すこともできますが、「僕」と「君」が並列していて、その両者に違いがあるかないかと指示しているだけです。数式で表すと、”僕≒君” ということになります。同様に「僕は君と同じ」は “僕=君” と数式で表せます。

中国語も基本的に同じです。「僕は君と違う」は “我和你不同” ということになります。ただ、「違う」ではなく、“不同 (bùtóng)” つまり「同じではない」と同じであることを否定します。“差 (chà)” という言葉もありますが、こちらは何かしら「好ましくない」という意味合いが含まれるため使われません。ですので、同等を意味する “同 (tóng)” を否定して中性的な言い方にするのだと思います。

ちなみに、日本の漢字の「違」に相当する “违 (wéi)“ は専ら “违反 (wéifǎn)“ のような「背く」という意味にしか使わないので、文脈から言って不適切な表現になります。

日本語も中国語も私と君を「と」や “和 (hé)“ という並列接続詞でつないでいるので、もちろん文脈にもよりますが、基本的には場所を入れ替えても文意は変わりません。日本語で ”僕≒君” と ”君≒僕” が同じであるように、中国語でも “我≒你” は “你≒我” と同じです。

英西葡は日中と違う

ところが、英語でもスペイン語でもブラジル・ポルトガル語でも日本語や中国語とは比較対象の両者をつなぎ役が違うのです。基本的には 英語は “from”、スペイン語は “de”、ブラジル・ポルトガル語でも “de” です。日本語でいうと「から」に相当するでしょう。

私はこの違いは文化の違いによるものだと解釈しています。日中では比較対象を対等とみなして、並列表現の「と」や “和 (hé)“ を使って対称に並べるのに対して、英西葡では非対称な表現の “from/de/de” を使います。

“from/de/de” はどこそこの出身かという出自を表わすのに使います。

(日)私は大阪から来ました。

(中)我是大阪的。(“从 (cóng)“ が日本語の「から」の意味)

(英)I am from Osaka.(”from” が日本語の「から」の意味)

(西)Yo soy de Osaka.(”de” が日本語の「から」の意味)

(葡)Eu sou de Osaka.(”de” が日本語の「から」の意味)

どうです。どの言語でも見事なまでに相似形です。

英西葡では出自を表わす表現、つまり「どこに属する」のかを問うために、自分と相手の違いを “from/de/de” を使って表現するのだと考えると腑に落ちるのです。

等号/不等号のイメージか集合のイメージか

では、最初の例文「僕と君は違う」を日中英西葡で並べて見てみたいと思います。

(日)僕君は違う。

(中)我你不同。( “和 (hé)“ が日本語の「と」の意味)

(英)I am different from you.(”from” が日本語の「から」の意味)

(西)Yo soy diferente de ti.(”de” が日本語の「から」の意味)

(葡)Eu sou diferente de você.(”de” が日本語の「から」の意味)

日本語と中国語では明らかに一対一の個人の性質が異なると言っているだけであるのに対して、英語、スペイン語、ブラジル・ポルトガル語の何れも「私は君の属している集団からは別だよ」という風に聞こえてきませんか?

そうなのです。日中の表現は数式で表すと等号/不等号のイメージですが、英西葡の場合は「僕 not ∈ 君」と集合を使って表現する方がしっくりきます。

儒教と聖書との文化の違いか

この等号/不等号と集合のイメージの違いは、古く儒教と聖書の文化の違いに根差しているように思えてなりません。

中国の話で言うと、儒教の原典『論語』の中で孔子は、”礼之用,和为贵(和を以て貴しと為す)” と述べています。日本でも、聖徳太子が十七条憲法の第一条で「以和爲貴(和を以て貴しと為す)」と記しています。2つの異なるものがあった場合には基本的に両者違いを認めて「」でつなぐというのが基本的思想です。

一方、旧約聖書にはイスラエルにとっての異民族に対する聖絶に次ぐ聖絶の歴史が書かれています。ということは、この流れを汲む文化的背景を持つ国々では、「我々」と「君たち」とは違うのだというところから物事を考え始めるのではないでしょうか。そしてその文化的と重なるのが、インド・ヨーロッパ語族というわけです。つまりここでは、英語であり、スペイン語であり、ポルトガル語なのです。

“different than” はどうかと思う

Duolingo Podcast を聞いていて、英語の気になる表現に出くわしました。

Baseball stadium etiquette (in the United States) was different than in Japan.

Duolingo Podcast, “Episódio 6: Superfans (Supertorcedores)” / 注:引用文中のカッコ内は本ブログ筆者が補足

上記はイギリス人の方のナレーションの中で出てきました。この方は日本観光で野球観戦をして、野球にはまり、米国のスタジアムを車で回って、シーズンを通じてメジャーリーグを観戦しまっくったのです。そしてスタジアムで観戦中に、ビールのおつまみになくてはならない落花生の殻の取り扱いが日米で違うことに気づいたのです。日本では観客が殻をゴミ箱に捨てますが、米国では殻を床の上に落としてそのままにします。そこに日米でエチケットの違いがあることを見出したのです。

この方は最初は殻をちゃんと捨てていたのですが、そのうちアメリカ人がやるように殻を床に落としたままにし始めました。最初は日本のエチケット圏に属していたのが、アメリカ文化に染まったわけです。元々本国の英国でもアメリカ文化が好きで慣れ親しんでいたので、アメリカ文化圏に戻ったといってもよいでしょう。

“different than” という言い回しは、イギリス人はあまり使わず、アメリカ人がよく使う傾向の表現です。ここでも、この人がアメリカ文化に染まっていることがよく分かります。”than” は比較級の表現で使う接続詞です。ですので、”different” に優劣のニュアンスが出てきてしまいます。中国語の “差 (chà)” のニュアンスといってもよいでしょうか。それもあってか、今のところ大多数派になるとまでは至っていないようです。米国でも “different from” の方が無難と認識されているようです。

スペイン語の方は、米国の影響が中南米で強いためか、”que” も使われます。”que” は英語の “than” と同じで比較級で使われる接続詞です。しかし同じ中南米でも、ブラジル・ポルトガル語の方は “que” を使いません。専ら “de” です。

しかし “different to” はOK

英国では “different from” の他に “different to” という言い回しも使われます。おそらく同等表現の “equal to” や相似表現の “similar to” と対称な形になるからではないかと思います。 こちらは日本人や中国人にとっても、「と」や “和 (hé)“ のニュアンスに非常に近いものとして受け入れやすい表現です。

スペイン語にも “different to” に当たる “diferente a” という言い回しがあり、”diferente de” と同じぐらい使われているようです。これも同等表現の “igual a” や相似表現の “similar a” 対称性がよいからなのだろうと思います。

米国では国内で分断が進む中で、”different than” が好まれるようになったのに対して、欧州ではEU統合が進んで、”different to” や “diferente a” が好まれるようになったと解釈すると、腑に落ちるのは私だけでしょうか。もっとも、英国はEUを離脱してしましたが。

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