人称代名詞の世界

Language Learning 語学
Image by Biljana Jovanovic from Pixabay

少なくとも私が知っている日本語、中国語、英語、ブラジル・ポルトガル語、スペイン語の間で、人称代名詞に対する明確な共通点があります。それは、三人称単数は性別を気にするということです。これは話のネタの対象がいるが、その対象がその場にいないという不都合からきた便法なのでしょう。

各国語の人称代名詞まとめ

では早速、各国語の主語人称代名詞をまとめた表をご覧ください。見事に三人称単数だけはどの言語も性別を気にしています。三人称複数形の方も、英語以外は性別を意識しています。スペイン語は三人称以外でも、複数形では軒並み人称に性別があります。

各国語の主語人称代名詞

会話する場合、自分と相手の二人で面と向かって話しますので、お互い見れば相手が男性か女性かは一目瞭然です。ですので、どの言語もいちいち性別の情報を付け加える必要がなかったのでしょう。

ところが、その場にいない第三者の場合は異なります。人間の活動は三大欲求で突き動かされていますから、食う、寝る、恋をする、の3つに大別してしまってもいいでしょう。太古の時代には、食うために狩猟採集生活をする中で集団行動していたわけです。違う集落は競合関係になる「彼ら」です。しかし、合従連衡したり遠交近攻したりという政治ゲームを繰り広げる中で、同盟関係を結ぶにはやはり互いの集落の出身者同士で婚姻関係を築くのが「彼ら」から「私たち」になる一番よい方法だったと思います。

集落同士で婚姻関係を築くには、一方の集落内での会話の中で、相手側集落の特定人物、それも婚姻関係に入る相手を指すのに、性別を指し示す必要が生じたのではないでしょうか。これがどの言語も三人称単数だけは性別を持っているという事実に対する私の仮説です。もちろん、例外言語もあるでしょうが。

三人称複数に性別がない英語

英語の三人称複数には性別がありません。”they” だけです。ジェンダー問題がどうこう言われ始める前から性別がありません。最近では三人称単数も “he or she” と言ったりしますが、まどろっこしすぎます。そのような場合に、複数形にはなってしまいますが、誰かその人が具体的に頭に浮ぶような状況でなければ、便利な単語として “they” は重宝できます。

ドイツ語の三人称複数は “sie” なので、英語の “they” はゲルマン語の流れで性別がないのでしょう。ジェンダー・ニュートラルな表現に心がける際には便利な人称代名詞です。これが他の言語ではどうしても性別情報があるためうまくジェンダー・ニュートラルな表現にできません。

日本語では、特別に女性であることを強調する場合に「彼女たち」を使いますが、そうでなければ、両性とも「彼ら」で済ませたりします。中国語では、“他们”も“她们”も読みは同じなので、会話する時は事前にジェンダー・ニュートラルになっています。書く時は、《每日中文课Free To Learn》を見ていると、“TA们”と表記しています。しかし、スペイン語とブラジル・ポルトガル語は苦しいですね。両性を並べるより方法はなさそうです。

主語省きが普通のスペイン語

スペイン語は動詞の活用で人称を特定できるので、頻繁に主語が省かれます。ただし、三人称の時は文脈により、”él”なのか”ella”なのか、はたまた改まった言い方の「あなた」を表わす”usted”なのか明示する必要がありますので、その時には現れてきます。

スペイン語の人称の特徴は他にもあります。一人称単数と二人称単数以外は明確な性別があります。なぜそこまで性別に拘るのかよく分かりません。必要があるから現代に至るまで生き残っているのだろうと思います。レゲトンに代表されるように、ラテン系は「情熱の国」が多いからなのでしょうか。

それから、複数形の人称代名詞はやたらと綴りが長いのも特徴です。”nosotros / nosotras” や “vosotros / vosotras” は8文字に及びます。落語の「寿限無寿限無…」ほどではありませんが、それにしても長すぎます。

元々は後で述べるポルトガル語と同じく “nos” や “vos” だけだったのが、その他の人を意味する “otros” を接尾辞として付け加えた形になっています。

実際には、動詞の活用形で一人称複数だと特定できます。ですので、主語を省いても大丈夫で、あまり使わないので、実害はありません。

二人称がないブラジル・ポルトガル語

元々はポルトガル語もスペイン語と同じで動詞の活用で人称が特定できるので、主語を省くことが多いのですが、ブラジル・ポルトガル語では二人称代わりに三人称の “você” を使うため、三人称の動詞だけでは情報があいまいになります。そのような事情もあって、一人称単数/複数以外では、主語省きができにくくなりました。

しかし、ポルトガルの元祖ポルトガル語では、スペイン語と同じく親しい間柄の相手に使う “tu” や 複数形の “vós” が健在で、それもあって、ブラジル・ポルトガル語に比べて頻繁に主語を省くようです。

ブラジル・ポルトガル語では、”o senhor / a senhora” であなたを指したりします。あまり親しい間柄ではない相手に対して呼びかける場合です。 “você” も元々は親しい間柄の相手に使う “tu” と対照的にあまり親しい間柄ではない相手に対して使っていたのです。なのでよそよそしい第三者の語感だったわけです。それが親密さに関係なく全般的に相手を指すようになったのです。

関西弁では二人称は「自分」

日本語でも方言によっては、ブラジル・ポルトガル語に似た人称の遷移があるものがあります。何を隠そう、関西弁の「自分」です。標準語では「自分」は普通、例えば海上自衛官が「自分は横須賀の潜水艦勤務です」というような使い方をします。

ところが、関西では「自分、何言うてんねん」のように、相手を指して「自分」を頻繁に使います。こちらの例は一人称が二人称に変わった例です。こちらは親密な関係ならではの表現になります。相手が「自分」なわけですから、つまるところ「俺たち」なわけです。

中国語でも、北方の方言 “咱” に似たところがあります。中英辞書のスマホアプリ ”Pleco” には

不会说英语。/私は英語を話せない。

という例文があります。 “咱” =「自分」です。

そうかと思うと、NHKラジオ「ステップアップ中国語」の『こんにちは、私のお母さん』の一節で、主人公の幼少期にお母さんが以下のように語りかけます:

年纪小,怎么还能跟哥哥姐姐们一个班呢?/なら、小さいのに、どうしてお兄さんお姉さんたちとクラスが同じなんだろうね?

この時の “咱” は相手である自分の子どもに向かって問いかけています。つまり、関西弁の「自分」とよく似た二人称代名詞としての用法です。もしかしたら、この二人称代名詞としての「自分」という使い方は、中国北方に起源があるのかもしれません。

かつては在日中国人の多くは南方の出身者で占められていたのですが、近年は北方の出身者が多いようです。2011年時点の統計では、「東北三省(遼寧省,黒竜江省,吉林省)だけで,計239,789人となり,35.53%を占めている」そうです。(1)

現在の新華僑(ニューカマー)は東京圏一都三県に集中しているので、今後は日本語と北方中国語との交雑で東京圏でも違和感なく、二人称代名詞としての「自分」が受け入れられるようになるかもしれません。

ネット時代には一人称/二人称にも性別登場するか

ジェンダー・ニュートラルの時代の流れとは裏腹に、会話相手の顔が見えなくなったこのネット時代、もしかしたら、一人称や二人称にも性別が必要になってくるかもしれません。面と向かって話さなければ、情報が少なくのは事実です。かつて日本では、女性が「あたし」と言ったり、夫婦が「あんた」、「お前」と呼び合ったりしていました。言葉は生き物です。時代の要請で少しずつ変わってきます。少し工夫が必要な時代になってきたのではないでしょうか。

[参考文献]

  1. Weng Kangjian, ”Transformation of Ethnic-Chinese in Japan based on their Changing Population Distribution”, Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences, vol. 22, 2023, pp. 169-186. DOI: https://doi.org/10.14943/rjgshhs.22.l169

コメント

タイトルとURLをコピーしました