一昨年の年末に年賀状を止めることを宣言して、最後の年賀状を送りしました。インターネット常時接続の時代に、同じ内容の年賀状を複数の宛先に印刷して送るために、いろいろと手間暇をかけるのも、相手にかけさせるのも無駄が多過ぎると感じたからです。
年賀状の歴史
日本郵政によると、年賀状は既に平安時代後期には存在していたようです。その頃に藤原明衡という名の貴族・文人によって年賀状の例文が書き残されているそうです。調べると、『明衡往来』という書簡文例集を著している人物なので、おそらくこの中に年賀状の例文も収められているのでしょう。書簡文例集は「往来物」というジャンルの書物で、その最古が『明衡往来』だそうです。
この時代では、日本語(今でいう古文)の読みに漢字を当てる万葉仮名で読み書きしていましたので、使いこなせるのは貴族階級に限られていたことでしょう。ですので、庶民が年賀状を書くとなると、寺子屋の普及で識字率が格段に向上した江戸時代以降ということになります。と言っても、飛脚という手段はあったでしょうが、遠くの知人に文を宛てるというのは、これまたごく限られた階層の人たちの特権だったと思われます。
「明けましておめでとうございます」で始まる年賀状は、元旦、少なくとも松の内に届かないと意味がないものです。ですので、近代年賀状の起源は郵便制度が確立した明治時代ということになります。日本郵政によると、「明治6(1873)年に郵便葉書が発行されると、それが賀詞の交換にも広く使われるようにな」ったそうです。
このように、日本国中で年賀状のやり取りが広がった歴史は浅いことが分かります。戦前に始まったラジオ放送や戦後生まれのテレビ放送でさえインターネットの荒波に晒されているのですから、紙メディアの年賀状も同じ状況です。
学生時代のアルバイトで年末に郵便局で年賀状の仕分けをしたことがあります。当時は自動仕分け機など存在しませんので、郵便番号を手掛かりに仕分けしていきます。黙々とマシーンのようにこなしていると、いつの間にかパターンマッチングで郵便番号を見た次の瞬間には仕分けできるようになっていました。人間AIが学習を終えた瞬間です。この頃が年賀状の最盛期だったと思います。
労働生産性を考えるきっかけ
学生時代のアルバイトで年賀状の仕分けをしていた頃は、個人の年賀状は裏も表も手書きがほとんどでした。ワードプロセッサーまたはワープロが普及し始めた端でしたので、ちらほら印刷した年賀状を見かける程度です。
その頃、ブラインドタッチでワープロを打つことをマスターしました。年賀状を印刷して量産することも覚えました。そうやって手間を省いて、浮いた時間を年賀状仕分けのアルバイトに充てて駄賃を稼いだわけです。時間の裁定取引といってもいいでしょう。労働生産性を考えるきっかけになりました。
日本人は年賀状でも、仕事のプレゼンでも、写真や図表を多用します。非常に分かりやすく、受け取る側からすると、懇切丁寧、上げ膳据え膳です。しかし、外国のクリスマスカードや仕事のプレゼンでは、写真や図表は最小限で言葉がズラズラと並んでいる印象です。日本人は相手を慮るばかりに非常に多くの労力を割いて、自分にとって貴重な時間を相手にプレゼントしているように思えます。この彼我の差が国内外の労働生産性の大きな差になっていると見ています。
スーパーに行っても感じます。野菜は洗ってあり、泥が付いていないホウレンソウやサツマイモが簡単に手に入ります。果ては、泥はおろか皮まで取り去ったささがけゴボウが真空パックで売っています。ささがけゴボウは腸活に使わせていただいています。魚介類のコーナーに足を運ぶと、骨を取ったサケやサバも売っています。「いや、そこまでしなくても…こっちは骨だらけのアラを圧力釜で煮るだけなので」と思ってしまいます。
『影響力の武器』の桎梏
年賀状は考えてみると、『影響力の武器』(原著 “Influence: The Psychology of Persuasion“, Robert B. Cialdini)に出てくる心理学の原則を上手く使ってきたのだと思います。
- 返報性 / Reciprocation:鶴の恩返しの法則です。よくしてもらったら、それ以上のことをして恩返ししなければと相手に思わせる効果です。相手から凝った写真や絵で鮮やかなデザインの年賀状をもらったら、それ相応かそれ以上のものを返信しなければと考えてしまいます。しかも年賀状は「一斉ので」出すので、相手がどれぐらい凝り凝りなのか分かりません。最大限の努力をしようとしてしまいがちです。これでは幾ら時間があっても足りません。
- コミットメントと一貫性 / Commitment & Consistency:村八分はイヤなので、約束や決まりを守る習性です。年賀状は古来からの年中行事の風習という頭があると、それに囚われますし、「去年ももらったし、今年も出さないと」とどうしても思ってしまいます。そして無間地獄に陥ってしまいがちです。
- 社会的証明 / Social Proof:「赤信号、みんなで渡れば怖くない」です。大阪のおばちゃんが「みんなやってるやん」と言い放つ CM も一世を風靡しました。クリティカル・シンキングが必要と言われるようになって、変わってきている側面もありますが、未だに年賀状のやり取りは村の一員である証という面も残っています。
- 好意 / Liking:当たり前ですが、「あなたのことが嫌いです」と書いて年賀状を寄こしてくる人はいません。年賀状は好意の表明以外の何物でもありません。ですので、年賀状をもらわなくなったら、「私のことに嫌気が差したのだろうか」と思われるのではないかという恐怖に苛まれる人も出てきます。そう思われないために差出人は年賀状を送り続けることになります。
- 権威 / Authority:水戸黄門が使う菊の御紋の印籠です。送る人が社会的に尊敬されているような職業や地位にあったり、送る年賀状が立派であればあるほど、「年一回の年賀状を頂けるだけで本望です」と相手に思わせる効果絶大です。もらう側にとっては、虎の威を借る気持ちになれます。
- 希少性 / Scarcity:年賀状は期間限定の上に信書なので、希少性は抜群です。権威も手伝えば、裏も表も印刷でおしまいでなく、数行手書きがあることで、有名人に直筆サインをもらったのと同じ希少性が出てきます。
このようにして見てくると、年賀状は「影響力の武器」以外の何物でもないことが分かります。
止めてみてスッキリ晴れ晴れ
このインターネット時代で、それでも数十年も命脈を保ってこられたのは、この「影響力の武器」の常習性によるところが大きいでしょう。しかし、ここに来て、神通力も衰えてきました。個々人がスマートフォンを持ち歩いているので、いつでもどこでもSMS、メール、チャットなどあらゆる手段で瞬時につながることができるのです。無理もありません。
一昨年の年末に年賀状を止めることを宣言して、最後の年賀状を送りしました。インターネットで以心伝心なのに、同じ内容の年賀状を複数の宛先に印刷して送るために、いろいろと手間暇をかけるのも、相手にかけさせるのも労働生産性の面で無駄が多過ぎると感じたからです。止めてみれば、スッキリ晴れ晴れとした気持ちになれました。
公益財団法人 日本生産性本部がOECD.Statを使って導き出した『労働生産性の国際比較 2021年版』によると、日本はOECD 加盟 38 カ国中 23 位です。年々順位を下げています。年賀状が醸す『影響力の武器』の桎梏から解き放たれて、もっと有意義な時間の使い方をした方がいいと思います。
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