英単語の “way” は名詞の意味「道」は当然として、比喩的に “Just the way you are / ありのままの君でいて” と Billy Joel や Bruno Mars が歌っていますが、日本語だと「めちゃ」ぐらい砕けた副詞 “way” もよく耳にします。
どの言語でも「道」は比喩的な意味に転じやすい
日本語では「道」は物理的な道路の意味を端緒に「その道に通じる」、「成功への道は険しい」、「道具(原義は「仏道の具」)」などのように比喩的な意味によく使います。
中国語でも “路” は “走老路” は「古いやり方をする」ことを意味して、以下のような例文で使われます:
“我们在工作中有时难免要走老路。/ 仕事上やむなく古いやり方に戻らざるをえないこともある。”
変わり種としては、日中どちらでも “路人” は通りがかりの人から転じて、「見ず知らずの人」を意味します。
“路人皆知 / 周知である”
英語でも同じです。例えば、Billy Joel や Bruno Mars が
“Just the way you are / ありのままの君でいて”
と歌ってみたり、何かに成功したら、周囲から
“Way to go! / でかした!”
と声をかけられることもあるでしょう。新しい言語を学ぶ時にいつもお世話になっている Duolingo をやっていると、1レッスンを終えたところで、Duo から
“Way to power through! / 最後までやり切ったね!”
というお褒めの言葉をかけられたりすることがあります。そうかと思うと、
“Sorry to get in the way, oh, by the way, are you familiar with me? / 邪魔してごめんなさん、そう言えば、私のことご存じです?”
と人が通っている道にドカドカ入って行く、つまり邪魔をする “get in the way” という使い方があったり、”by the way” のように話題を変えるときにも使われます。”by the way” の本来の意味は「道の脇」でしょうから、本線の話題を脇にどっこらしょと避けて、違う話題に変えるというイメージが何となく湧きます。
「道」の比喩的な意味は世界共通のようです。例文を示します:
(日)彼らは成功への道を歩んでいる。
(中)他们正在走向成功的路上。
(英)They are on their way to success.
(萄)Eles estão a caminho do sucesso.
(西)Van camino del éxito.
程度副詞 “way” は直感的には?
ところが、極端な程度を表現する “way” に至っては、ちょっとイメージが湧きません。米語口語で使われるのですが、日本語に訳すとすると「めちゃ」という意味合いでしょうか。『AFN最強の生英語リスニング―スポット・アナウンスメント』に出てきます:
“<snip> it’s way more than that! / それは序の口や!”
和訳は “way” の雰囲気をより出すように「序の口」としました。この英語教材は AFN という米軍軍属向けの放送を題材に使っています。その中でコミュティーカレッジには様々な生涯学習プログラムが用意されていることについて夫婦で会話している文脈で出てきます。
Google Bard に訊くと、この程度副詞の “way” は20世紀の米国南部が発祥の地とのことです。言語の歴史の中ではごく最近というです。Bard が教えてくれた例文です:
“I’m way excited for the concert tonight! / 今夜のコンサートめちゃわくわくするで!”
恐らくは、どこまども続き、終わりが見えないような長い道路に喩えているのではないかと想像します。中南部辺りにありそうですよね。”far” に近い「程遠い」という語感がようやくしっくりくるところまで来ました。
“way” を究める「道」は厳しい / Takeaway
程度副詞の “way” は砕けた日常会話の随所に出てきますが、改まった場面でそれこそ “路人” には使うのは失礼に当たる表現です。野球で盗塁しようとして塁を離れて大きくリードを取っている場面から来た表現で、
“You’re way off base! / 大間違いだ!”
や完全否定する場合に使う
“No way! / とんでもない!”
の例を見ても、お世辞にも上品な感じはしません。グロービッシュな外国人の私たちは意味が分かるようになるのはいいですが、使うのは止めた方がいいでしょう。TPOに合わせて使い分けようなどとすると、”way” を究める「道」は厳しいのです。
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