「赤い糸」と日本人が聞くと、縁結びを思い浮かべます。中国から伝来した伝承です。中国語の教科書に出てきて、今度はDuolingoでスペイン語を勉強していると、こちらでも「赤い糸」が出てきました。幸運を呼ぶ御守りです。ユダヤのカバラ(Kabbalah)が起源かもしれません。
縁結びの「赤い糸」
日本で「赤い糸」というと、運命の人とつなぐ見えない糸のことです。なぜ見えないかというと、中国の伝承から来ているからです。この「赤い糸」、中国語では “红丝线 (hóng sīxiàn)” あるいは “红线 (hóngxiàn)” と言います。この “红丝线” を自在に操るのが “月下老人 (yuèxià lǎorén)” あるいは “月老 (yuèlǎo)” です。
どうも赤い糸と月影に立つ老人の姿とがパッと結びつかないのですが、唐代以前から伝えられている結婚を司る神様です。この神様は杖を携えていて、その杖にかけている “婚姻簿 (hūnyīn bù)” に縁組総覧が載っているわけです。それに基づいて、両人の足に赤い糸を結びつけるのです。別々の人生を歩み、どんなに離れていようが、最終的には巻き取られてめでたく一緒になるという寸法です。
足というのがどうも足枷を想像してしまい、印象が悪いのか、日本にこの概念が持ち込まれて、赤い糸を結ぶ場所が小指に変わりました。
「赤い糸」の起源はさらに遡れる
しかし、中国が「赤い糸」の起源ということで一件落着とはそう問屋が卸さないようです。どうも、ユダヤのカバラ(Kabbalah)が起源という説があります。こちらの赤い糸は腕に巻きます。ユダヤ教の聖典『創世記 (Genesis)』にPerezとZerahという双子の兄弟が登場します。その二人が誕生した際に、それぞれの手に赤い糸が巻かれたのです。
唐の時代と言えば、ユーラシア大陸の東西を横断してシルクロードが結び、交易が行われていたはずです。その頃に、パレスチナから隋唐の都である洛陽まで、赤い糸が伝承されてきたとしても不思議ではありません。
地図を見ると、現在の洛陽市から東に200 kmぐらい行ったところに商丘市(隋唐時代当時は宋城)という都市があります。そこで《定婚店》という小説が書かれています。この書に “月老 (yuèlǎo)” が史上登場するのです。とても偶然とは思えません。
『創世記』が紀元前6世紀から5世紀頃、《定婚店》の方は唐時代(西暦618年-907年)のどこかで著されたとされるので、「赤い糸」はパレスチナからシルクロードに沿って伝承されていき、絆の形を変えながら、中国を経て日本に辿り着いた可能性があります。
有名人がみんな手首に巻いていた「赤い糸」は、実は『創世記』にまで遡れる歴史があるのかもしれないのです。
文化によって異なる赤色に対する印象
赤色というと、何を思い浮かべますか?日本人の私が思いつくのは、救急車などの緊急車両の赤いランプです。どちらかというと緊急事態ですので、あまり起きてほしくない事柄の象徴です。しかし一方で、中国と同じく慶事(中国語では “喜事 (xǐshì)”)の色でもあります。
「洋の東西でこんなに違う白色のイメージ」の回で、日本の場合は紅白のツートンカラーがお祝い事の彩りで、中国では専ら紅の方が “喜事 (xǐshì)“ で使われ、白は「喪」や「無駄」の意味合いがあることを紹介しました。
世界を見渡すと、Duolingoでスペイン語を勉強していて、「cinta roja/hilo rojo (赤い糸)」が出てきましたので、中南米は幸運を呼び寄せる色で決まりです。インドでもお祝い事の色だそうです。
ところが、アラブ世界では不吉な色だそうです。詳しく知りませんが、もしかしたら、イスラエルでは赤い糸を手首に巻いているので、両者で中東紛争などのいざこざの歴史があることが関係しているのかもしれません。
色使いは本当に注意が必要です。受け手が誰なのかに応じて、色使いを変えるようにしたいものです。
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